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演奏家によって再現される芸術

同じ曲でも演奏によってかなり違う

友人に誘われて、コンサートへ行った。初めて聴く曲だったが、すばらしいと感激し た。もう一度聴きたいと、同じ曲のCDを購入し、あらためて聴いてみた。ところが、どう したことかコンサートのときのようなよさがまるで伝わってこない。ナマとCDの違いか なあ、と思いながら、よく見ると演奏家の名前が違っている。そうか、演奏者が違うと、同 じ曲でも違って聴こえるのだと、はじめて納得した。 あるいは、何かの事情で同じ曲の二種類のCDを聴いた。ところがテンポといい、盛り上 がりといい、あたかも別の曲のように違って聞こえる。どちらも名のある演奏家の演奏なの に、これは一体どうしたことなのか。しかも、まるで違うタイプの演奏なのに、どちらも昧 があるというのか、甲乙つけがたく魅力的に聴こえる。 とまあ、クラシック曲の演奏をめぐって、こんな経験をした人が、もしかしたらいるかもしれない。格別演奏家に興味があって聴いたのではなかったが、たまたま複数の演奏を 耳にしたことによって、同じ曲でも演奏によってかなり違うことを知った。歌などでは、声 の質が人によって違うことや、多少の上手下手を感じたこともないわけではなかったが、 オーケストラや器楽曲にも考えてみれば同じことがあるらしい。だとすればマニアたちがよ くいう「カラヤンがいい」「バーンスタインがいい」などという話も、何となくわかる という人は、案外いるような気がするのである。クラシックを好きになった場合、この「演 奏の違い」というのは、いろいろな所で感じることになるが、興味をもつと作品や作曲家と 同じくらいにおもしろく感じるのではなかろうか。というのは、第四章でもふれた通り、音 楽は楽譜をもとに演奏家たちによって再現されたものを聴く再現芸術だからである。作品は 楽譜という形で残されているが、どういう演奏がいいのかについて、はっきりとした答えは なり作曲者はとうに亡くなっている曲がほとんどだし、楽譜は不完全ときている。だからどん な演奏を聴いても、いいと思えばよく聞こえるし、悪いと思えばそのようにも聞こえる。だ からといってどんな演奏でもいいかといえばそんなことはなく、やはり「いい演奏」と「悪 い演奏」とはあるように見える。そのことに気がつくのは、同じ曲について、あれこれと聴 き比べたときである。

楽譜(スコア)が手がかり

例えばオーケストラ曲の場合。出だしがきちんとそろわない、ソロ(独奏)楽器の音がふ らつく、など、素人目にもわかるミスは別である。一応ソツなくやってはいるのだが、 別の演奏と比べると、何かしら元気がない。リズム、テンポが単調で、盛り上がりに欠ける というような演奏があったとする。これだけを聴けば「そんなものか」と納得してもお かしくないわけだが、さらに緩急・強弱などのメリ(リに富んだ別の演奏を知ってしまった 場合。聴き手としてはそちらの方を断然いいと気に入ってしまった場合。その違いがどこか ら来るのか知りたいと思ったら、手がかりはさしあたって楽譜(スコア)だけである。 しかし実際に楽譜を手に入れて眺めてみると、それだけではどうもよくわからない。例え ばプレスト(きわめて速く)にしろエスプレッシーヴォ(表情ゆたかに)にしろ、それなり に指示に従っているようにも見えるのである。ただ一方はおとなしく、他方はオーバーに やっている。どうやらその違いによるのだとはわかったが、楽譜からはどちらが正しいの か、実のところ判断することは難しい。だとすると、楽譜が指示できるのはある部分まで 、(あるいは、大ざっぱなことだけ)。そこから先は、指揮者の裁量で何ともなるのだ、とい うことがわかる。では、指揮者は何を根拠におとなしくやったり、オーバーにやったりするのか。その点が わからないと聴き手としては納得がいかない。しかし、そのことについて、楽団員でもない 私たちがいちいち理由を尋ねるわけにもいかないだろう。だとしたら、あとは想像だけであ る。彼はなぜここをあのように抑制したり強調したりするのか。外れてはいないが、ぎりぎ りのところまでオーバーにやるのか。単なる思いつきでないとしたら、彼はスコアを通して 何かしら別のものを見ているのかもしれない。

作品の解釈

そのことから、次に問題となるのは、作品の解釈についてである。難しく聞こえるな ら、言い替えよう。この曲はどう再現(演奏)するのが望ましいのか、ということである。 望ましいとは、作曲した人の真意に添うことである。もちろん、本人が生きている場合は問 題はなく、亡くなっていることによって生ずることであり、スコアがある部分までしか書き 表わせないことから来る問題である。真意に添うべくあれこれと考えている筈の演奏が、十 人十色。決して同じでないということは、作品の解釈がそれだけあるということである。そ のうちのどれかは、多分作曲者の真意に近いのかもしれないが、どれであるかはわからない。 この場合、それぞれの差を生むことになるスコアの読み方、同じプレストを違って演奏す ることになる裏側の要素、すなわち彼らがスコアを通して見ている別のものとは、一体何で あろうか。これもまた想像するしかないが、もしかして作曲家の人間像-どこに生まれ、 どんな性格や考え方をもち、どんな生き方をしたのかかもしれないし、その作品を書い た時の状況、生活かもしれない。あるいは彼の生きた時代や社会背景、音楽状況?それと も音楽史上の交友関係(だれと仲がよかった。だから影響を受けているといった)であろう か。 すべてこうした事柄に目を向けた上で、「だからこのスコアは、こう再現しなければなら ないのだ」と結論づけた、そして演奏しているのだとしたら、結果として違った形にはなっ ても、それなりに説得力があるものと考えてよいのではなかろうか。 もちろん、これらの要素はある部分で共通し、ある部分で差を見せる。研究が進んだ現在 ではそれほど大きく違わない筈だという見方もできなくはないけれど、ここにさらに演奏家 それぞれの経歴や考え方、楽器、会場、レコードの場合には録音に使われる機材やスタジオ (ホール)の違いなども加わってくる。どう見ても同じ演奏にならないことは、明らかであ ろ。

よく耳にする「名演」とは?

いろいろな演奏が生まれるのはそれでわかったけれど、しかし現実に演奏をめぐっては、 「あれは名演だった」とか「名盤である」なんて言葉をよく聞くじやないか。あれは一体、 何を基準にしていうのだろう?と、ふしぎに思う人もいるのではなかろうか。 そう、音楽界では、やたらに「名」をつけた表現が多いのも確かな話。いうまでもなくこ れは、。優れた、すばらしいという意味である。何百年も経てなお聴かれる曲のことを名 曲というのはわかるにしても、いろいろな形で再現される演奏について、。優れた、すばら しい演奏とは、一体どういうものを指していうのか。これは考えてみる必要がありそうで ある。 これまでの話で、演奏というものが楽譜をもとにした再現芸術であり、演奏家たちはそれ ぞれに検討・研究して「これこそが、作曲者が意図したであろう真の形」として演奏を行 なう筈。しかし盛り込まれる要素の多彩さから、結果として同じものが生まれないというこ とはわかっていただけたかと思う。彼らの演奏は、思い通りにいかないこともあるかもしれ ないが、基本的には自分の解釈に自信をもったものであることは確かであろう。 ところが、名演であるとか平凡であるといった評価を下すのは、もっぱら聴き手の側である。それも多数決とか審査会を開いて決定したというものではない。どこからか評判が立ち、いつの間にか広まるという場合が多いのである。いや、それではあいまいだからもう少 し具体的にいうと、例えばその演奏を聴いた批判家や専門家が絶賛して、新聞や雑誌に書 く。あるいは海外の評判がそのまま国内のファンにも認められる。放送・レコードーコン サートで感激した人の反響が大きく膨れあがるといったことが考えられるのである。つ まりあいまいではあるけれど、それなりに音楽体験をつんだ大たちに認められる演奏という ことなのである。 とはいえ、それがだれの耳にも共通するとは隕らない。音楽的な感性は大それぞれに違う ものだし、経験によって同じになるとも思えない。要は、宣伝も含めてやたらに多用される 「名…」に惑わされることなく、かといって意地をはることもなく謙虚に、自分の耳を信 じて聴いていくのがよいのではなかろうか。

演奏の個性

物事にはすべて、それぞれに備わった性格、すなわち「個性」というのがある。演奏につ いても、例外ではなく、同じ曲の演奏がそれぞれに違うのも、演奏者の個性といえばそうい えなくもないだろう。しかし日常使われる個性・個性的の意味は、もうちょっとニュアンスが濃く、「平凡でなく、他とはひと味違ったユニークな性格」を指すのが一般的である。 その点から眺めると、数多い演奏の中には単に他と違うというだけでなく、一種独特の風 格というかスタイル、あるいは雰囲気、クセなどを備えた演奏というのを見つけることがで きる。例えばピアニストというと、鋼鉄のような力強い打鍵が魅力的だったエミールーギレ リス、一音一音が粒揃いの宝石のように美しかったかつてのウラディーミルーホロヴィツ ツ。独特のノンーレガート奏法でレコード録音だけを行なったグレンーグールド、異色とも 思える奔放なショパンを聴かせたサンソンーフランソワ。ヴァイオリンではエルマンー トーンと呼ばれる甘い音色が何ともいえなかったミッシヤーエルマン。ウィーン風の 優稚な演奏で人気があったフリッツークライスラー。声楽では、喉にからむような必らずし も耳に心地よいとはいえない声ながら抜群の表現力を感じさせたソプラノのマリアーカラ ス。指揮では速いテンポと正確な演奏が気持よかったアルトウーロートスカニーニ、穏やか な雰囲気の曲づくりが印象だったブルーノーワルター。録音嫌いで有名なセルジューチェリ ビダッケ…といった人たちの演奏が、それ。いや、似たような個性的な演奏をする人は、 ほかにもまだたくさん見つけることができるだろう。 それらがどういう考えのもとに生み出されるのか。単に技術的に優れているからか。それ とも作品に対する理解や解釈にもとづくものなのか。これは一概にはわからない。しかし、彼らがおおむね一流とか大家と見なされて人気があったことを考えると、演奏には何らかの 個性があったほうがいいらしいのは確かだろう。私たちにしても、これといった特徴のない 平凡な演奏より、もアクがあり強烈な自己主張をする演奏の方が印象が強く、好みはあって も引きつけられることは多いからである。

マニアがやっていること

同じクラシックを楽しむのでも少しばかり熱中度の高い、いわゆる。マニア。こういう 人たちに特に演奏の違いに関心をもつ人が多いことは第四章でもふれたが、作品や作曲家に 興味がある人からするといささかうるさ型とも見える彼らが、一体どんな風にクラシックに アプローチしているか。これはもしかすると自分の将来を想像するようで興味がある、とい う人がいそうである。 全員がそうだとはもちろん断言できないけれど、ここで大ざっぱに彼らの実態をご紹介し ておくなら、日同じ曲について、少なくとも数種類の演奏を聴く(ナマ、CDを含め)くら いの努力あるいは経験をしている。口結果として、自分なりに演奏のよしあしについて判断 できる耳、一家言をもっている。目判断の前提となるべき音楽史、楽器、スコア、作品、作 曲家などに関して、ある程度の知識をもっている。いや、時にはそうでない人もいるが、これは説得力に欠けることをいうのですぐにわかる。四指揮、ピアノ、ヴァイオリン…。あ るいは交響曲、独奏曲、室内楽曲…といった楽器やジャンルのどれかに傾いている。ある いはどれかを得意にしている。まんべんなく詳しいという人はいない。演奏者、曲目の多さ からこれは当然のことでもある。㈲気に入った演奏家が見つかると、その人のCDなりは、 大抵集める。(1)フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター…など、往年の名演奏家と いわれる人たちを狂信的にもち上げる人がいる。その分、新人たちには概して冷たい。囮演 奏家の現況・去就について、やたらに詳しい。(2)ナマ演奏のコンサートも適当に行く。(3)少 なくとも五枚以上のレコード(CD)をもっている。とまあ、以上のような点で共通しているのがマニア。全体としては前項での個性的演 奏家と同様、その人ならではの強烈な好み・主張を打ち出して、簡単に譲ることがない。そ のために外見的にはちょっと嫌味な、鼻もちならない奴、うるさい奴と思われることもあ る。しかしまあ、クラシックが好きでたまらないのは確かだろう。今、そうなりかけている 人、これからそうなる人。自分はどんなマニアになりたいか。音楽との関係、他人との関わ りを含めて、あらためて考えてみてはどうだろう。

聴き比べればよくわかる

さて、ここまでくると今まで演奏には関心がなかった。曲さえよければだれの演奏でもよ かったという人も、あらためて演奏というものに興味がわいたのではなかろうか。そして実 際にそれを感じてみたいと思っているのではなかろうか。 だとしたらすぐにもできる「聴き比べ」について、その手順・要領などをご紹介しておこ う。まずどんな曲でもいい。聴き比べてみたいと思う作品を決め、それを演奏した異なる演 奏家のCDを何種類か集めてみよう。ポピュラーな曲ならレコード店に行けばいくらでもそ ろっているので簡単だ。といっても同じ曲のCDを何枚も買うのはちょっと、という人は、 友だちに声をかけて別々のものを買うか借りるかするとよいだろう。 音源がそろったら、いよいよ聴き比べに入るが、これはしかるべき静かで落ちついた部屋 がベスト。一人もいいけれど、できれば大ぜいのほうがよさそうだ。なぜなら聴き終わった あと、どこがどのように違ったか、皆で感想をぶつけ合うことができるからである。もちろ ん一人でもできないことはないけれど、大ぜいでやると、人によっていかに感じ方が同じ だったり違ったりするか、そのポイントがわかったり、感性の違いに気づいたり、いろいろ と得るところが多いのである。 演奏比較のポイントとしては、前にも書いたように、日全体あるいは楽章ごとのテンポが どうか。早いか遅いか。一定か、それとも部分的に揺らせているか。口強弱のダイナミックスはどうか。あまり差がなく平坦か、それともかなりオーバーにやっているか。目演奏の技 術はどうか。ミスはないにしても鮮やか見事と聴こえるか。それとも平凡に聴こえ るか。四音色的にはどうか。明るいか、暗いか。美しいか、濁っているか。全体の印象は どうか。作品の性格に合っているか。それとも合わないと思うか。順位をつけるとすれ ば、どうなるか。 -などを基準にする。そしてその感想を批評家になったつもりで、まとめてみるのであ る。最初は同じように聴こえる演奏も、何回かやってみると意外と違うことに気づき、その 原因がはっきりつかめると、気分はいつの間にか批評家か演奏家である。楽しいこと、この 上ない。

感動できる演奏に出会うには

聴き比べによる違いの発見も楽しいが、もっと重要なのは、感動できる演奏に出会うこと である。聴いた時「いい曲だなあ」と思う曲があるのと同様に、演奏にも「なんと素晴ら しい」「感激した」という名演奏があるのは確か。コンサートでいえば、会場全体が異 様な熱気に包まれ、猛烈な拍手が鳴りやまなかった演奏というのが時折あるし、レコードで も聴いた人すべてが絶賛する名盤やベストーセラーというのが、結構ある。客観的な名演はともかく、自分にとって「いいなあ」と思える演奏に出会うことは、クラシックを趣味にしていて感じる大きな喜びの一つである。それにはやはりあれこれと数多 く聴くことが何よりだけれど、その聴き方は。ながら聴きやムード的な聴き方ではダメで ある。少なくとも演奏者と向き合って聴く、他のことは忘れて音楽に没頭するという姿勢で なければ、曲も演奏も近づいてこない。その点、コンサートがいいというのは、初めからそ のつもりで行くからである。だから、レコードやテレビで聴く場合にも、これはできるだけ 集中して聴く、コンサートへ行ったつもりで真剣に向き合って聴くのが望ましい。それが感 動と出会う何よりの条件である。

最初に聴いた演奏

演奏についてはまた、こういうことがある。「いいなあ」「よかった」と感激した最初 の演奏について、その印象が強ければ強いほどそこから離れられず、その後に聴く別の演奏 もすべてこれを基準に判断してしまいがちだ、ということである。例えばカラヤンという指 揮者の演奏するブラームスの交響曲をナマ演奏で聴いた。なぜか大感激した。もう一度聴き たいと、レコードを買った。何回も聴いて、曲も演奏も完全に頭に入った。 ところが、その後あれこれと音楽体験を積み、ブラームスの交響曲もいろいろな指揮者による演奏を聴くようになったが、どれを聴いてもカラヤンとは少し違うように思える。不満 足な気がしてならない。批評家や友人たちの意見では必らずしもカラヤンがベストではない というのだがとまあ、こういうことがあると思うのである。 この場合、そもそものきっかけはカラヤンをナマで聴いたことである。そして彼の演奏に すばらしいと感激したことがベースになっている。その気持は純粋に演奏にのめり込んで得 たものであるのは間違いないだろう。演奏もまた技術的に問題があるとかひどくクセのある ものでない限り、水準も決して低いものとはいえないだろう。だとしたら、その人にとって カラヤンの演奏が一番というのに何らおかしな点はなく、それを基準にしたところで決して 間違いとはいえないだろう。客観性も大事かもしれないが、演奏に感激したり、よしあしを 感じるのは、あくまでも個人の感性だからである。

好みの演奏家をみつける

音楽が楽譜を通しての再現芸術。演奏によっていろいろと違ってくること。聴き比べてみ ると個性やら発見やら感動やらがあることをご紹介してきたこの章も、いよいよ終わりであ る。しめくくりに、こんなことをお勧めしてみよう。 かりに演奏に興味をもち、特にこの面からクラシックにアプローチしようと思う人がいたら、これまでの聴き比べや名演奏、個性的な演奏などの探究に加えて、もう一つ「自分好みの演奏・演奏家をみつける」ことを心がけてはいかがであろうか。 というのも、興味をもちあれこれと聴いていると、当然耳が肥え、何がどう違うかの区別 だけでなく、「この曲は、このように演奏したほうがよいのではなかろうか」といった、自 分なりの理想的な演奏を思い描くようになる。そしてそれに近い演奏をする人も必らず現れ てくるからである。そうなるとスポーツなどの場合と同じに、いつの間にか応援したくな る。あれこれと聴いてみたくなるのが自然で、無意識のうちにこれはファンになったり、パ トロンになった気分で音楽が楽しめるのである。つまりこちらは演奏できなくても、それに 代って思いどおりに演奏してくれる分身を持ったようなもので、対象として選んだ演奏家も 当然あるレベル以上の人(相当の音楽体験をした耳で選ぶのであるから)。若手だったらそ の将来性も楽しめるし、長く続ければその演奏家に関する専門家にもなれるというわけ で、クラシックの楽しみがいちだんと深まるからである。
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